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紹介記事

《驚きの大パノラマ》岩屋観音に、そんなんあんのん?

2023.01.24

人生半ばの私たち、期せずして「新西国三十三番霊場巡り」をすることになっても、すんなりと手を合わせることができるし、上の写真の最も眺望の良い開けた場所では、1人が「瞑想しましょか」「いいね」「では」ってな感じで、「今ここ」を味わうことができる。でも、私たちが重ねてきた年数が理由ではないね、きっと。地球の悠久の歴史と人々の祈りがこの地を特別なものにしているのでは、としみじみ。そんな深〜い魅力を持つ田辺市稲荷町の岩屋観音。今回は大阪から地元和歌山にUターン移住予定のアッキーがご紹介致します。

 

岩屋観音さま?岩、ですか?

通称「パビシ」こと、オークワパビリオンシティ田辺店を右手に見ながら、県道208号を山の方へ進むと左手に「岩屋山観音寺 参拝道」の看板が。

歩行者は階段。車は、もう少し先に坂道があり、駐車が可能です。が、運転不慣れな私は急勾配や狭めの駐車場にドキドキしました。(汗)

一般道から少し入るだけでこの静けさ。先の白い塀のところが本堂のある場所です。

まずは本堂にお参り。

お分かりいただけますか?

岩の洞窟、くぼみに入り込むようにお社が祀られています。

建物自体は大きくないのに、すごい存在感です。かっこいい!

私たちは、こちらの広場でお弁当をいただきました。

のんびりまったり良い時間でした。

本堂前広場の一角、高山寺より聖徳太子、弘法大師の像を避難させたという石碑が。

ここで、こちらの観音寺の成り立ちを少し。

最初の最初は、文覚上人!

今から約850年ほど前、時は平安時代末期。

那智山の滝で苦行を終えたある僧がその後、牟婁地方をまわった際、一夜の夢に霊感をおぼえて岩屋山に立ち寄り、そして、大岩窟に念持仏の聖観世音像をお祀りしたのが始まりとのこと。

そのある僧というのが、浄瑠璃で語られるスキャンダラスなエピソードあり、頼朝に平家打倒を説いたと言われている文覚上人。

破天荒な怪僧というだけでなく、各地の寺社の復興に務めたり、用水路や溜め池を作るなど人々のためにも尽くした功績があるそうで。かつらぎ町には「文覚井」という農業用の用水路も。文覚上人、人間らしさが興味深いです。

 

おっと話を岩屋観音に戻します。

観音寺は同じ田辺市内にある高山寺(こうざんじ)の末寺であり、天正年間豊臣勢による熊野侵攻の際には、高山寺の尊像をここに移して災禍をまぬがれ、太平洋戦争末期にも、再度、尊像をこちらへ避難させたそうです。

 

お参りを終え、元来た道を戻っていると、わき道に看板がひとつ。

なんだろうと見てみると・・・。「新西国三十三番霊場めぐり案内」の文字。

 

え?巡礼させてもらえますの?

こちらを訪れる前に、県道208号を挟んで東側のひき岩群を歩く時に、

下の案内板で岩屋山寺の周辺に遊歩道があるようには思っていましたが、まさか巡礼できるとは。

順番に石仏に手を合わせ、各地のお寺さんのお名前を読むのもなかなか味わい深いものでした。

案内板にある通り、30分ほどで一周できます。

倒木は乗り越える派?くぐる派?なんて話しながら、歩いていきます。

特に眺めの良い13番付近へ上がって行きましょう。

鎖のある遊歩道に沿って、奥へ進みます。

13番付近に着きました〜。気持ちよくて、この表情です。開放感やばーーーい。

瞑想。心地よい良い時間。

石仏ごとに手を合わせて進みます。

自然にむき出しの石仏。コケがむしていたり、趣があります。

13番から先があるのか、少し迷いましたが、その他の道は分かりやすいと思います。

13番の石山寺の石仏に手を合わせたら、来た道を引き返しましょう。

わき道にシュッと入ると、14番があります。

 

この高さに、足を置く場所があるなら、コレ、やるよね。笑

「おーーーーーい!」はしゃいじゃって♡

途中、こんなほら穴が!「頭蓋骨に見える!」と、キャーキャー言うてみたり。

32番、33番と巡り、最後は一周するかたちで、本堂の横へ出て来ます。おかえりなさい。

まとめ

今回の岩屋観音、

自然と歴史の物語が、こんなに日常すぐそばにあるなんて、本当に驚きでした。

そして、それが果てることなく目の前に美しい姿で存在してくれている有り難さよ。

13番付近からの眺めは、本当に素晴らしく、私は3日後に再訪しました。

これからも度々訪れたい特別な場所になりました。

みなさまもぜひ、訪れてみてはいかがでしょうか。