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観光情報

春日神社

住古大和(奈良)の春日四所大明神を勧請したと伝え、領主山本氏のとき氏神としていたという。
江戸時代以降は、市ノ瀬村の産土神。
社名は、春日大明神または春日社と呼ばれ崇敬された。
明治元年、春日神社と改称し(若宮神社・日吉神社・熊野神社)3社を合祀して境内神社とした。
明治4年11月(任田辺県)郷社に付せられたが、同年末、田辺県を廃して和歌山県に併合されたことと「郷社定則」に基いて、同6年4月村社に列せられた。
同8年、社寺境内外区画取調により910坪(旧境内地)が上知となる。
同22年8月、大水害で神庫・中門・社務所など流失倒壊した。
今後の防備対策として、翌23年4月に御旅所の厳島神社を合祀し、本殿敷地を3尺高くし、再建には30年2月に中門、33年に社務所を完成した。
同42年、一村一社の神社合祀から村内の小社(畑の厳島神社・大芝の厳島神社・下ノ岡の地主神社・中ノ岡の稲荷神社・宮ノ尾の地主神社・両平野の大神社・同天神社・小山の日神社・汗川の厳島神社・後代の金刀比羅神社・根皆田の八坂神社)11社を合祀した。
同44年11月、神饌幣帛料供進社に指定。
大正3年2月、会計法適用社に指定された。
昭和33年、字宮の新殿を新築した。
同26年9月、第二室戸台風の害を受け、これを機会に屋根を銅板葺に替えた。
昭和44年、山本貞雄氏の寄贈に依り神輿が新装なり、神庫を完成された。
同55年、この二の殿屋根葺替〈文政2(1820)年に銅板で葺かれていた〉。
同60年、奥行2m、長さ15mの大幣殿を新築した。
同61年9月、江戸期のものと思われる神鹿(白鹿)を修復した。
同62年、境内社の厳島神社・若宮神社・熊野神社と日吉神社の3神殿を造営した。
平成3年11月4日、ちょうや竣工。
平成4年10月、大駐車場完成。
(例祭)
享保9(1725)年の古文書弁財天祭祀輪番記に「夫辨財天者擁護於万物之善神也干茲紀伊州牟婁郡櫟原荘一瀬村前川蓬島之弁天宮云云」と記されている。
此の蓬島は、明治22年8月の大水害に流失しその影はないが、その附近の川原を御旅所と選定めて、例祭に神輿渡御御神事が行われている所以である。
御花篭。
三筒の目張り篭に赤白緑の布を掛け、松竹梅の枝及び萱、造花を刺し立てる。
農作物の豊作を祈る。
之をかついで渡御行列に参加する。
御篭持。
富田川の北岸、南岸両地区より、1歳未満の男の子を1名づつ選び、母親は子供を、父親は篭をかついで渡御行列に参加する。
稚児行列。
満6才児有志が参列する。
神賑行事(奉納芝居)。
芝居小屋のことを昔から帳屋とよんでいる。
本殿の正中の延長が帳屋の真中である。
芝居のはじまりは明らかでないが、大古からうけ継がれている。
現在は青年等が中心となって、お祭り1ヶ月前から練習に励み、10月12日の宵まつり、13日の2夜に奉納される。

名称 春日神社
Web https://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=7040

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